人間を演じる

人間を演じる

 

早いもので、福岡公演まで、あと2ヶ月を切っています。

今一度、自分が何をしているのか、それを考えてみました。

演じる ということの目的について。

 

「人間を演じる」

もっと言えば、”その人間がただそこに居るだけ”ということを演じる。

 

演じる とは、嘘を作り出すことではありません。

“「本当」が在るということにする”んです。そしてそれは演者とお客様が相互に共通理解しなければいけないことです。

 

ただ、皆さんには、難しいことを考えないで、舞台の上に乗っかってるキャラクター達が 何を好んで何を嫌って何に心を揺さぶられるのか、何に反応して何に喚くのか、それをただただ観察してみて欲しいんです。

電車の中で遭遇する変な人を見て、いろんな感情を得るようにです。

見たことのない生き物をプレパラート越しにジロリと見つめ続けるように。

きっとそれ以外に見方なんてものがありえるように今は思えません。

 

舞台の上のキャラクター達は、皆さんから離れていきもしない代わりに近づいてもいきません。

ただその上に居ます。”芝居”という言葉通り、

“芝” の上に “居る”だけ。

そこに居るキャラクター達をただただ、眺めていて欲しい。でもそのキャラクター達は、皆さんにとって何にも関係のない人たちではありません。

居酒屋で愚痴をこぼし、彼女から結婚を迫られまごつき、こぼれた醤油が付いたリモコンを見てイライラする。

自分と知り合いではない遠く離れた人たちを、自分と関係のある人だとは普通思えないけれど、

居る という人たちは、

「今後なんらかの関係を持ち得る・同じ感情や痛みを持ち得、共感し合い得る」 という意味で、厳密には自分と関係のない人間だとは言い切れません。

(*現に僕たちは、テレビで見る 自分と同じ病気や事故で起こった悲劇をその当人と共有して涙を流したり仲間意識を持ったりします。)

 

文字通り “居”るんです。

もっともっとリアルなものを、人間というものを知りたい。

それを、舞台というものの上に乗せて、皆さんと何かを感じ合うとき、”居る”ということが、”在る”ということに変貌していくような、そんなことを感じます。

そしてそれを見たくて確認したくて、それが、

この「ひとり芝居」という、いつまで経っても捉えどころのないものを舞台に上げ続ける理由です。

作り上げたリアルが皆さんの反応と相まって本物の現実になろうとする瞬間が、これは、もう、

ビックバンとも言えるべき、追い求める奇跡です。そしてもしかしたらこれが、芝居とコントの違いなのかもしれません。いわゆる「コント」は、ツッコミや仰々しい表情や音の作り方によって、明らかに観客の視線があることを前提にしています。

でも、芝居は、それを”ないものとして”委ね切る。

 

まあなんだか難しいことを言ってますけど、面白おかしく演じられるものになっていくんだと思います。

人はお茶目で窮屈だけど、そのバランスの悪さに、僕はいつまでも魅了されていくんだと思います。

時には人酔いをしながら・・・

 

福岡公演、楽しみです。楽しみですか?

 

長谷川恒希